当たり前の根拠4コマ

こんにちは。しらこです。

前々回のお話で、「掛け算はどれで定義してもよい」というお話をしました。

ということは…

私が、掛け算が交換可能って言ってたの、合ってたじゃん!!
「2×3」も「3×2」も、「同じ!!」って言ったの、合ってたじゃん!!

 

2×3も3×2も、当たり前?

2×3も3×2も当たり前

おいたん
いや、それは違う。
何故ならあの時、「当たり前」となる根拠を説明出来なかったでしょ?

「あの時」の私の解答↓
答え一緒なら逆でもいいじゃん
↑「2×3」も「3×2」も「答えが同じ」と解答している。
これは、「答えを計算している」ということ。

この時、本当に「2×3=3×2」の根拠が分かっていたら、こう説明出来る。↓
41×17と17×41の見た目

2×3=3×2になるのは何故?の解答例
2×3と3×2は、上記のようにみなせる。
同じ並びを、どう数えても一緒だから。

数え方が変わっても、そこにある"数"は変わらない。
だから、「掛け算は入れ替え可能」なんだねぇ。。。

おいたん
数学は、「誰々が言っていたから」や、「教科書にそう書いてあるから」は、根拠にならないんだ。
教科書の行間をしっかり読んで、自分の頭で理解することが大切なんだよ。

 

へぇ〜

教科書に書いていたからとかは根拠じゃない

↑かけ算を「2×3=2+2+2」と、累加で定義した以上、可換は当たり前ではない。だけど…というお話。

出来れば、5億回くらい読んでくれると、嬉しいな〜💕

【超重要な注1、2】
数学を議論する際のお話です。
小学生は、「九九がそうだから」や、「計算結果が同じ」等も、立派な根拠になると思います。

↑ここ、とっても重要なので、勘違いしないでね。

「これ以上は説明出来ない」事柄

公理とは

おいたん
数え方が変わっても、本当に同じになるの?縦と横が違っても、本当に同じ??
など、「当たり前」と思える様な事をどんどん突き詰めていくと、最終的に「これ以上は説明できない」事柄になる。

 

おいたん
これを「公理」といい、証明なしに認めることにしているんだ。

 

1 一般に通用する道理。

2 数学で、論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。

3 自明であると否とを問わず、ある理論の前提となる仮定。

 
公理の説明
 

へぇ〜、そうなんだ!!
(公理なんて言葉、初めて聞いた…)

 
数学的帰納法
数学的帰納法…。
習った記憶はあるが、すっかり忘れている。
何だったっけ????

数学的帰納法(すうがくてききのうほう、英: mathematical induction)は証明の手法の一つ。自然数に関する命題 P(n) が全ての自然数 n に対して成り立つ事を証明するために、次のような手続きを行う[注 1]。

1. P(1) が成り立つ事を示す。
2. 任意の自然数 k に対して、「P(k) ⇒ P(k + 1)」が成り立つ事を示す。
3. 1と2の議論から任意の自然数 n について P(n) が成り立つ事を結論づける。

何だか難しそう??
いいえ、とてもとても簡単です。そしてそれは次のお話…。

おいたん
言っていることはとても分かりやすいと思うよ。
高校の時、数学的帰納法で挫折した人や、今、高校生の人も、見てみてね。

 

もちろん、その他大勢の人にも見て欲しいと思ってます。
え?そんな事???って言うくらい、拍子抜けする内容だから!!(多分)

 

こぼれ話

「2×3」も「3×2」も同じなら、どっちかに統一すれば良くない??

「2×3」と「3×2」に"違いが全くない"なら、もういっそのこと、どっちかに統一してしまえばよくないですか?
例えば、「数字が小さい方を前に書く」というルールにしたら、「3×2」って書くことがなくなり、常に「2×3」と書くことになる。

それ、いいね!!
そしたらかけ算順序問題も一気に解決!!
九九表だって、逆の部分、覚えなくていいから、九の段だったら、「9×9=81」だけ覚えればいいし、めっちゃラクじゃん!!
いい考え!!

半九九にしたらいいのに
何故、このような表記ではダメなのでしょう?

実は答えはもうこのブログ内のどこかに出ているんだけど、また後日、(もしかしたら演算や実用上の問題を交えて)詳しくリライトします。

おいたん
それはね…(答えはリライトするよ)

 

リライトしたらツイッターで呟くから、それまで、考えてみてね。

(注意:あくまでも数学のお話です。教育上云々の話ではありません。)
 

【2022/03/17追記↓】

何故、九九表の表記を半分だけ、とか、掛け算が交換可能なら片方だけ覚えればいい、としちゃダメなの?

何故なら、掛け算は演算だから。

数学において、二項演算(にこうえんざん、英: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法(にこうさんぽう)、結合などともいう。

 

掛け算は2つの数から新たな数を決定するものねぇ…。

 
例えば、
パンツを履いてズボンを履く。
ズボンを履いてパンツを履く。
パンツを先に履くか、ズボンを先に履くかで、見た目が変わる。
見た目に注目するのであれば、非可換(交換できない)。

でも、パンツとズボンを履いた時の「重さ」が知りたい。
のであれば、パンツを先に履いても、ズボンを先に履いても、重さは同じ(重さは可換(交換可能))。

見た目は関係ない重さを知りたかったとしても、パンツを先に履くか、ズボンを先に履くかという、どっちの概念も存在する訳で、どちらかがなくなるわけではない。

掛け算は可換(交換可能)だからと言って、どちらかの表記をなくせば良い、ということにはならないのです。

ズボンとパンツの例え話は、人によっては解釈が違うし、私が理解している範囲で書いているよ。
この例え話で逆に分かりにくくなる人もいるだろうし、あくまでも、私の認識、私が理解するために出した例え話なので、スルーしてください。

 

因みに、掛け算は可換だと知っているなら九九は半分まで覚えれば問題ないと思うよ。
私は8×5を頭の中で「ゴハシジュウ」って考えて答えを出してるよ。
でも、自分が頭の中で「ハチゴ(8×5)」を使わないからと言って、他人が「ハチゴ」を使わないかどうかは分からないよね。
九九表を覚えることで、「掛け算は可換なんだ!!」って気づく人もいるだろうしね。

 

おいたん
それに、九九表が対称だったらキレイでしょ?

 
因みに、日本では昔、半九九で教えられていたそうです。
そして総九九になったのも、演算が理由ではなく、外国が総九九だったから取り入れたそうな。

私、掛け算が総九九なのが当たり前だと思ってた…。
総九九であることに、何の違和感も疑問もなかったけど、半九九だった時代もあったんだねぇ。(総九九、半九九って言葉があるのも知らなかった)
この辺りも調べてみると面白そうだね!!
気になる人は調べてみてね。

 
 

 

今はこんなのあるんだねぇ〜。
お風呂で九九を覚えるの、結構いいよ!!
コウ(幼稚園年中)も面白がって覚えてます。

 

ではまた〜!!

 

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コメント一覧
  1. 掛け算の順序にこだわらない方がいい.

    2人の友達が着て,飴玉を渡すとき.
    2の倍数だよね.
    2の段の掛算使えるよね.

    …のはずが.

    渡すの3個だったら,3の段でしなきゃいけなくなるの.
    ああ,もう少しあるから,次は4の段で.
    もっとありそうだから5,6,7の段?

    …そんなことする?

    あほらしいとおもいませんか.

    • 私は、掛け算を教えるのに、掛け算の順序に拘っているわけではありません。
      だって実際は、どっちの順番であっても良いのですから。
       
      エコ鉄さんがおっしゃった飴のお話、
      勿論、2の段だけ使えば問題ないですね。
      他の段を使う必要性は感じませんが、それ以外の考え方があっても良いと思います。
      そして私は、他の段で考える、というより、足し算で考えました。
      数学って、面白いですね。
       
      (↓ここからは蛇足かもしれませんが、色々な意見が寄せられるので、私の考えを書いておきます。)
      これは、おいたん(兄)から聞いた話が面白く、掛け算を累加で定義すると、掛け算は可換である事は自明ではない、という事が言いたい内容です。
掛け算(高校までの普通の掛け算)を定義する方法は一通りではなく、定義の仕方によって可換性は小学生にも自明になります。
こういった、ある定義や枠組みで証明することが難しくても、同値な別の定義や枠組みを用いることで証明できる事は数学ではよくあるそうです。
この記事は、身近にもそんな例があって面白いよねってことを伝えたい記事です。
       
      掛け算の順序を固定して教える事について、「まとまりの数の概念の理解」が進むのか?と問われると、
そこは、脳科学や認知科学等の分野だと思っているので、私には断言できませんが、日本語の語順を考えると、一定の効果はあるのでは?と思っています。(詳しくは、また記事に書こうと思っています。)
だからと言って、学校教育で強制的に全員に教える、というのは反対です。
       
「掛け算の順序を固定して指導する」という方法は、指導要領にも書いておらず、判断は現場の先生に任せられている、という現状だと思います。
とはいえ、実際は同調圧力等により、現場の先生の中にも、掛け算の順序が違う事で、泣く泣くバツを付ける人もいれば、バツをつけられて、算数が嫌いになる子供がいる…。また、正しい(というと語弊がありますが)掛け算の順序で丸を付けられるということは、まとまりの数(単位あたりの量)を理解している人にとっては、学校が掛け算の順序を求めているから、こう回答する…というような忖度をして、(数学的に正しくない理解を曲げてまで、丸をもらうために)掛け算の順番を式に書くというのは、科学にとってはプラスどころか、マイナスであるとすら思っています。
そこは、掛け算順序否定派の人たちの考え方に同意します。
       
      掛け算順序否定派の人たちが、世の中を変えようと訴え続け、しかし、優しい言葉の訴えでは全然世の中が変わらなかったので、凄い強い言葉で訴えるようになった…というのにも、理解は示せます。
しかし、ただ、理解は示せるだけで、私はそういう行動をしようと思いません。
そういった強い言葉で行動するのが正しいとは、私は思いません。
       
      また、掛け算順序固定で教える事に一つもメリットがない…という人もいますが、一つもメリットがないというエビデンスもありません。
メカニズムが分かっているからといって、そのメカニズムに合わないと無意味か?というと、そんな事は全然なく、また、そこが難しく、解明されていないところだと思っています。
こと教育に関して、入力と出力の間にはブラックボックスがあり、Aと入力したからと言って、Aの出力が出る訳ではない…ということを、理解しておく必要があるのではないかな?と思います。
      掛け算順序否定派の人たちが主張している事はよく分かりますし、今の教育業界の現状を考えると、極端なことを言って叩きたくなるのも、勿論分かります。
でも、この記事は、そう言ったことを言っている記事ではありません。

      この辺りは、やはり誤解(掛け算順序を固定することこそが大事、的な誤解)を招く感じがするので、もう少しリライトしようと思っています。

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