こんにちは。しらこです。

掛け算順序の話を描いたことで、色々な意見が寄せられるので、私の見解をまとめました。

私としては、導入は「一つ分×いくつ分」で教えて、テストでは掛け算の順番は気にせず、どっちがどっちでも式にマルくれるといいなぁと思うよ。
何故か?ってところをブログに書くね!!

 

因みにこれは、あくまで、私の解釈だよ。
私の解釈と他人の解釈は違うし、気になったら、自分で考えてみてね。

 

目次

掛け算順序問題とは?

掛け算順序問題とは?

掛け算はA×B=B×Aであるのに、文章問題で子供に式を書かせた時、一方の式(A×BもしくはB×A)のどちらかがバツ(間違い)とされる問題である。

すんの実際のテスト
↑すん(息子)の実際のテスト。
9×8でも8×9でも問題ないはずが、「9×8」の時、バツ(間違い)とされる。

何故、このような事が起こっているのか?

さくらんぼの例【掛け算順序2話目より】

学校では[まとまりの数]×[いくつ分]と教える

すんの教科書20ページ目

すんの教科書20ページ目

累加で定義

2が3つで3が2つではない

2粒ずつ実の付いたサクランボが3房ある場合、この状況だけみると、「2のまとまり」が「3つ分」とイメージしやすいと思います。(でも、イメージしにくい人もいるだろうね。)
この状況では、こう考える方が分かりやすく、想像しやすいので、「2×3」が正しい解答である、と思ってしまいがちです。

掛け算シリーズの話が分かりやすい!!って言ってくれた人は、"2 のまとまりが3つ"って言うのが理解できたからだよね。
そう考える方が私も分かりやすいと思ったよ。
この考え方も正しい解法の一つだから、間違いじゃないよ。

 

暗記した九九だって、「被乗数(かけられる数)×乗数(かける数)」だもんね。

そしてこの状況は、3粒ずつ実の付いたサクランボが2房あるわけではありません
3粒ずつの実が2房なら、3×2=3+3と想像しやすく、式は「3×2」が正解となり、「2×3」は誤りである。
とされ、"まとまりの数"を考える時は、掛け算の順序を考えましょう、となり、あたかも、掛け算に順序があるように取り扱われているのです。

あくまでも、こう考えたら分かりやすいよねって話なのに、その考えこそが正しく、他の考えは間違いかのように指導するのは問題あると思わない?
だって、掛け算はどっちがどっちでもいいんだもの。

 

それに、「2粒ずつ実の付いたさくらんぼ3房」と
「3粒ずつ実の付いたさくらんぼ2房」は、
確かに状況が違うけど、総数"6"だし、状況が違ったとして、2×3でも3×2でもどっちでもいいんだよ。
この場合、どっちがどっちの状況か?って大事じゃないからね。
状況が違うね、だから何?って話なんだよ。

 

おいたん
数学は抽象化して考えることが大事だからね。
その状況が、こういう式で表せるかな?と考えてイメージすることはできるけど、数式自体は、その時の状況を表したりできないからね

配り方を変えると「2×3」にも「3×2」にもなる↓
掛け算の考え方

「3人に2個ずつ配る」という問題は、①、②の配り方以外にも色々な方法(解釈)があります。
3個ずつ配って、後で3引いてもいいし、1つずつ数えてもいい。

このように、状況が違っても同じ数式で表すことができ、式は、どれも正解になります。

他にも、こう考えれば同じ数になるって証明できるよね

「2粒ずつの実が3房」と「3粒ずつの実が2房」、状況は違いますが、どちらも、を取って数えたらどうでしょう?
掛け算は色々定義できる
「2のまとまりが3つ」としても、「3のまとまりが2つ」としても良く、答えは「6つ」。
どちらの状況だったとしても、を取って数えることができ、「2×3」でも「3×2」でも成り立つことが分かります。

因みに、房から実が取れない状況だったとしても、逆の式で表す解釈もできるよ(もうちょい下で説明してるよ)。

このように、文章問題だったとしても、解釈の仕方は色々あり、「2×3」と「3×2」の式から、子供達が、"まとまりの数"を理解しているか?していないか?を測ることは出来ないのです。

人の頭の中を割って覗くことなんて出来ないし、式の順番が違っても理解している子はいるし、逆に、式の順番が合っていても、理解出来ていない子もいるだろうしね。

教科書の導入がこういう「状況」や、絵に描かれたような「場面」だと、その場面のみ、掛け算が使えると思い込む子や、状況によっては唯一正しい掛け算の式が存在する…と思い込む子も出てくる可能性があります。
さくらんぼの問題だと、房から実を取って考えてもいいし、実を面積と捉えて考えてもいい。

おいたん
実を面積で考えられるのは、より抽象化して考えられるようになってるということだね。
さっきも言ったけど、より抽象化して考えられるようになることは数学にとってとても大事なことだよ。

 

でも、描かれた「場面」だけ見ると、実を取って考えるのはダメ!!とか、「実」は「面積」じゃないから、ダメ!!と思い込む人が出てきそうだよね。

 

おいたん
そうだね。
式と状況を紐付ける必要は全然ないから、テストでバツにする必要はないよね。

テストでマルでも"まとまりの数"を理解しているか判別できない例

掛け算順序問題におけるサンドイッチ法

サンドイッチ法とは?
お皿が3枚あります。そのお皿に、リンゴが5個ずつのっています。全部で何個でしょう?
という問題が出された時、
5(個)×3=15(個)
というように、答えが「◯個」になるならば、「個」が付いた数で「サンドイッチ」になるように書く。
という方法の事。

この方法だと、「一つ分×いくつ分」という式が作れるので、テストでマルはもらえるけど、マルを貰えても、"まとまりの数"を理解したことになるでしょうか?

このやり方覚えていたら、テストでマルだからと言って、"まとまりの数"を理解しているかどうかは分からないよね。

このように、テストでマルであっても、バツであっても、子どもが"まとまりの数"を理解しているかどうか?を測ることは出来ません。

テストでバツを貰うと、答えが違うからバツだと思うし、先生の考え方と違うからバツ…なんて、おかしくない?

 

バツだったらがっかりするし、やる気もなくなるよね。

"まとまりの数"を理解したかどうか?なんて本人でないと分からないのに、それをテストでどうやって判断するんですか?
少なくとも、「掛け算は可換である」という事は正しい事実であり、正しい事実ならば、「2×3」でも「3×2」でも、どちらも正しくないと、おかしくないですか?

だから私は、テストで判断するのはやり過ぎじゃない?って考えだよ。

 

学習指導要領には何て書いてる?

 

学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)は、文部科学省が告示する初等教育および中等教育における教育課程の基準である。

 

先生が子供に、どう教えるか?を書いた指導書みたいなもんだね。

この学習指導要領を見ると…

 乗法に関わる数学的活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 次のような知識及び技能を身に付けること。
(ア) 乗法の意味について理解し,それが用いられる場合について知ること。
(イ) 乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったりすること。
(ウ) 乗法に関して成り立つ簡単な性質について理解すること。
(エ) 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法の計算が確実にできること。

 

(イ)の項目がちょっと気になるところではあるけど、ここでは、掛け算順序については、特に触れられてないね。

しかし、学習指導要領の解説には、掛け算の順序について触れられていました(長いので、引用の下にまとめてみたよ。)↓

ア 乗法が用いられる場合とその意味
乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。
例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。
「5個のまとまり」の4皿分を加法で表現する場合,5+5+5+5と表現することができる。
また,各々の皿から1個ずつ数えると,1回の操作で4個数えることができ,全てのみかんを数えるために5回の操作が必要であることから,4+4+4+4+4という表現も可能ではある。
しかし,5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である。

そこで,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を乗法を用いて表そうとして,一つ分の大きさである5を先に書く場合5× 4と表す。
このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉えることができる。
言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)と捉えることができる。
また乗法は,幾つ分といったことを何倍とみて,一つ分の大きさの何倍かに当たる大きさを求めることであるという意味も,併せて指導する。
このときも,一つ分に当たる大きさを先に,倍を表す数を後に表す場合,「2mのテープの3倍の長さ」であれば2× 3と表す。
なお,海外在住経験の長い児童などへの指導に当たっては,「4×100 mリレー」のように,表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する。
ここで述べた被乗数と乗数の順序は,「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである。
一方,乗法の計算の結果を求める場合には,交換法則を必要に応じて活用し,被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。
乗法による表現は,単に表現として簡潔性があるばかりでなく,我が国で古くから伝統的に受け継がれている乗法九九の唱え方を記憶することによって,その結果を容易に求めることができるという特徴がある。

イ 乗法の式
乗法が用いられる具体的な場面を,× の記号を用いた式に表したり,その式を具体的な場面に即して読み取ったり,式を読み取って図や具体物を用いて表したりすることを重視する必要がある。
その際,乗法の式から場面や問題をつくるような活動も,乗法についての理解を深め,式を用いる能力を伸ばすために大切である。
式に表す指導に際しては,「1皿に5個ずつ入ったみかん4皿分の個数」というような文章による表現,○やテープなどの図を用いた表現,具体物を用いた表現などと関連付けながら,式の意味の理解を深めるとともに,記号 × を用いた式の簡潔さや明瞭さを味わうことができるようにする。
式を読み取る指導に際しては,例えば,3× 5の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが5パックあります。プリンは全部で何個ありますか。」という問題をつくることができる。
このとき,上で述べた被乗数と乗数の順序が,この場面の表現において本質的な役割を果たしていることに注意が必要である。
「プリンが5個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という場面との対置によって,被乗数と乗数の順序に関する約束が必要であることやそのよさを児童が理解することが重要である。
このようにかけ算の式を具体的な場面と関連付けるようにすること,さらに,読み取ったことを,○などの図を用いたり,具体物を用いたりして表現することが,式を読み取る能力を伸ばすためには大切である。

ウ 乗法に関して成り立つ簡単な性質
「内容の取扱い」の(4)で「主に乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする」と示されているように,ここでは,乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や,乗法についての交換法則について児童が自ら調べるように指導する。
乗法九九を構成するときに乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えること,乗法についての交換法則などを活用し,効率よく乗法九九などを構成したり,計算の確かめをしたりすることも大切である。ここで「主に」と書かれているのは,児童の実態に応じて,図などと関連付けながら,乗法についての結合法則や分配法則に基づいた考えに触れてもよいことを意味している。

エ 乗法九九
乗法九九は,以後の学年で取り扱う乗法や除法の計算の基盤となるものとして必要なものである。
したがって,乗法九九を構成したり理解したりする際には,体験的な活動や身近な生活体験などと結び付けるなどして指導の方法を工夫することが重要である。
また,どの段の乗法九九についても十分に習熟し,確実に計算することができるようにするとともに,それらを生活や学習に活用することが大切である。
乗法九九を生活や学習の場面で活用することによっても,技能の習熟が図られる。

私なりに要約すると…

要約
1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数は、5×4。
4×5ができなくもないけど、5×4と考える方が自然だよね。

(一つ分)×(いくつ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)と考えられるね。
海外歴が長い子は、「一つ分×いくつ分」が逆の場合もあるから、注意してね。

「一つ分×いくつ分」は、日常生活の場面を式で表現する場合に大切だよ。
だけど、計算結果を求めるときには、掛け算の交換法則を使って、逆にしてもいいよ。

3×5を教える時、「プリンが3個ずつ入ったパックが5パックあります。プリンは全部で何個ありますか?」という問題が作れるけど、
「プリンが5個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で何個ありますか?」ではないよね。ここ、重要だよ。
だから、「一つ分×いくつ分」の約束が必要なんだよ。

 

要するに、掛け算の順序を考えるのは大事だけど、式はどっちで求めてもいいんだよ。ってことかな。

 

プリンの問題、混乱しそうだけど、
掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではない(証明が必要)という意味だよね。

 

最初にも言ったけど、
プリンが3個ずつ入ったパックが5パックあります。と、
プリンが5個ずつ入ったパックが3パックあります。では、
状況が違うね、だから何?という話だよ。
どちらも総数は同じだよね。

 

 

でもこの学習指導要領の解説、人によっては、「一つ分×いくつ分」の順序を教えることこそが大切!!って解釈しかねないと思うね。
実際、順番にした方がわかりやすいよ、的なこと書かれてるし。

 

「一つ分×いくつ分」と順序を固定して教えてはいけないの?

「一つ分×いくつ分」について、否定的な感じで書きましたが、相手の理解が進むのなら、私は、「一つ分×いくつ分」と固定して教えても良いと思います。
ただし、「一つ分×いくつ分」が、あくまで"まとまりの数"の理解を進めるために用いるものであって、教える側が、「一つ分×いくつ分」の式をもって、"まとまりの数"の概念の理解が進んでいるかを判断するものではない、と私は思います。

「一つ分×いくつ分」で考えたとき、そう考える方が分かりやすい人もいれば、分かりにくい人もいるでしょう。
分かりにくい人には別の方法で教えてあげればいいだけのこと。
全員が「一つ分×いくつ分」で理解が進むか?というと、そういうわけではないと思います。

教える時は「一つ分×いくつ分」だけど、テストでバツにするのはやり過ぎと思うよ。
テストでバツにまでする必要はない、っていうのが私の意見です。

 

すんに、「2×3も3×2も答え同じだからどっちでもいい」って言ってみた

 

ママ
すんちゃん、掛け算って、「一つ分×いくつ分」で習ったでしょ?

 

すん
うん。

 

ママ
じゃあ、、、
2粒ずつ実のついたさくらんぼが、3房あります。
実は全部でいくつでしょう?

 

すん
え〜っと、
2×3で6!!

 

ママ
正解!!
すんちゃん、よく分かってるね!!

 

すん
へへっ。

 

ママ
じゃあこの問題、2×3じゃなくて、3×2だと、ダメなの?

 

すん
うん、ダメだよ。
だって、2つのまとまりが、3つだから、2×3じゃないとダメじゃん!!

 

ママ
実はこれ、2×3でも、3×2でもいいんだよ。

 

すん
えっ!?なんで???

 

だって、2×3も3×2も、実の数はどっちも同じだから。

 

すん
えっ!?確かに答えは同じだけど…。(混乱)

 

ママ
やっぱり、答えが同じだから式はどっちでもいい!!って言うと、混乱するよね…。

 

ママ
だって、実を房から外して並べ替えれば、3×2にもできるでしょ?

 

すん
あっ!!ほんとだ!!

 

ママ
房から外さなくても、左を1、右を2として数えたら、3のまとまりが2つ。って考えられるよね。

サクランボを縦から数える

すん
ほんとだ〜!!

 

だから、2×3でも3×2でもいいんだよ。

この段階でも、「一つ分×いくつ分」で教えてるから、私(ママ)は、掛け算を固定して教えています。
そしてすん(息子)は、その方が分かりやすそうでした。

すんは、2×3を2+2+2、3×2を3+3と解釈してるっぽいからね。

 

"まとまりの数"の取り扱いがあやふやな人(すん)に、掛け算は可換だからどっちでもいい!!って言ったら、混乱するんじゃないかな?
勿論、"まとまりの数"の理解を深めるためなら、掛け算の順序に拘る必要はないよ。
掛け算の順番に注目するんじゃなくて、相手が、分かっているか?分かっていないか?に注目した方がいいと思うよ。

そして数日後…。
すん(息子)に、こんな問題を出してみました。

こんな問題出してみた

どれが正しいでしょう?

どれが正解だと思う?

すん(息子)の、最初の解答は、これ↓
2のまとまりが3つあるから

私(ママ)
すんちゃんは本当にまとまりの数を理解しているなぁ…。

 

ママ(私)
すんちゃん、他は間違い?

 

すん
うん。だって、2個のまとまりが3つでしょ?だったら、2×3と、2+2+2だよ。

 

ママ(私)
じゃあさ、お皿に乗ってるりんご、全部お皿から取り出して並べたら…

 

すん
あっ!!分かった!!
ママ、待って!!

そして次はこれ↓。
どれが正しいでしょう?

ママ(私)
そうだね。どうやって数えても、総数は"6"だもんね。

 

すん
うん!!

 

ママ(私)
これ、1+5もマルだし、1+1+1+1+1+1もマルなんだよ?分かる??

 

すん
うん!!分かるよ!!
だって、全部で何個でしょう?だから、答えが"6"なら正解なんでしょ?

 

ママ(私)
そうだよ。
全部の数を聞いてる問題だから、本当はどんな式でも答えが"6"なら正解なんだよ。

 

ママ(私)
でも本当に、「答えが同じ」ならどんな式でもいいのかな?
不安になってきた…。

 

ママ(私)
すんちゃん、この問題、答え、「6」でしょ?
「答えが全部同じ」っていうの、8-2も、答え「6」になるけど、式は「8-2」でもいい?

 

すん
ダメだよ?
だって、「8-2」は、数えても「8-2」にならないもん。
それに、文章問題は、文章問題に出てくる数字を使いなさいって先生が言ってた!!

 

ママ(私)
そうだね。
この問題は、「3枚のお皿にリンゴが2個ずつのっています、全部でいくつでしょう?」だもんね。

すん(息子)はまだ割り算を習っていませんが、答えが"6"なら、18÷3でもいい。
8-2などの引き算でもいい。
ただし、8-2や18÷3とする場合、どういった解釈をしたのか?が大事になる。
ここは、「3枚のお皿に、2個ずつリンゴが乗っていると、全部でいくつでしょう?」なので、その問題を読んで、論理的に式を求めることができるのなら、18÷3でも、8-2でもいい。

おいたん
数学的な解釈は色々できるからね。
色々な解釈をする事は、数学には大事だからね。

6枚のお皿に、2個ずつりんごが乗っています。りんごは全部でいくつでしょう?
という問題だったら、3×4でも4×3でも構わない。

3人に49個ずつ飴を配りました。全部でいくつ配りましたか?
この問題、わざわざ49×3(もしくは3×49)しますか?(勿論、する人もいる)
頭の中で、50×3して、3引く(147)ってしませんか?

おいたん
問題を解く上で、どう解釈するか?が大事なので、そこに何の解釈もなく、答えが合っているからと言って、突然意味のない式を書いても、意味がないよね。
もし、式変形するだけであれば、そこに解釈は必要ないけどね。

 

本当はこういう多様な解釈も認めないといけないよね。
掛け算順序固定反対派の人たちは、ここは認めてるのかな?(某数学者の人が認めてるのは知ってる)

 

でもこんなこと言ってたら、答えがすぐ分かる問題なら、その答えが導き出せる式なら全部マルってことになるよね。

 

おいたん
そうだね。
答えが分かってる、とか、掛け算の交換法則を知っている、っていう理由でOKなら、全部マルだね。

 

おいたん
でもそれが、超難問だったら?
イコールで結べるかどうか分からない問題は証明が必要になるよね。
「◯×△」と「□÷☆」を、イコールで結びたいなら、証明しないといけないよね。

 

掛け算のテストで順序にバツが付けられる。
順序なんてどっちでもよく、答えが合っていればいいと言うのなら、どこまで許容できますか?

この掛け算順序シリーズで言いたかったことは何?

数学の面白さを伝えたい、掛け算はこうやって考えることもできるよね、と言いたかったです。
(決して、掛け算に順序がある、といいたかった訳ではありません。)

掛け算順序1話目が、すん(息子)のテストがきっかけだったので、掛け算順序論争をするのかと勘違いした人、すみません。
小学校に関する掛け算順序について、議論する気はありません。

1話目で、すん(息子)の話をし、ペルソナはすん(息子、小2)と見せかけて、2話目以降は私(ママ)。
ペルソナが私(ママ)であっても、「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」という事は、知る必要もないし、知らなくていい。
ただ、私が知りたくて、面白かったから、描き始めました。

掛け算を累加で定義すると、可換は自明じゃないって話、私は理解するのに苦労したけど、理解したら、「そっか!!数学って面白い!!」と思ったから、そこを理解できるように、分かりやすく描きたかったし。
何度でも言うけど、小学生にそんな事、求めてないよ。

 

数学的に間違った事は描いていないつもりだけど、私の理解の仕方や、解釈に誤りがあるかもしれないから、数学的に間違いがあれば、ご指摘ください。

答え一緒なら逆でもいいじゃん
↑ここは、掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではないため、答えが合っているだけではダメで、私の解答が"違う"となります。

小学生にはどっちでもいいよ。
「掛け算は可換か?非可換か?」を学んでいる人以外は、どっちでもいいしね。

 

ここは、私に、「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」ということを伝えるために、「式が表しているものが大事」と言ったんだよ。
だってさ、本当にどっちがどっちでもいいなら、「A×B=B×A」なんて式すら必要ないし、存在しないでしょ?
「A×B=B×A」と言う式が存在する以上、何かしら理由があるんだよ。

 

おいたん
式には定義によって決められた意味があるよ。
「式が表しているものが違う」というのは、そういうことだよ。
「2×3」は、ただのラベル(名前)であって、「2×3」に、どういった意味をもたせるか?それが定義なんだよ。
式が場面を表す、という解釈の話ではないよ。

 

ここら辺の話、大学数学の話みたいだよ。
私も最初は全然分からなかったけど、そっか〜!!おもしろ〜い!!ってなったよ。
数学って、面白いね!!

 

一つ分(被乗数)×いくつ分(乗数)で考えるのは間違いなの?

いいえ。間違いではありません。
学校で習う「一つ分(被乗数)×いくつ分(乗数)」だって、正しい解法の一つです。
有効であればそれを用いればいいし、必要なければ使わなければいい。という話です。

掛け算順序論争の否定派の人たちが言っているのは、「一つ分×いくつ分」も「いくつ分×一つ分」も正しいのに、「一つ分×いくつ分」のみが正しい、唯一の解法だと主張するのは間違っている、と言っています。

そりゃそうだ。
全部でいくつ?って聞かれても、色々な解釈があるもんね。
式に答えがあるように採点されると、その式以外は「間違い」と思っちゃいそうだもんね。

一つ分(かけられる数)×いくつ分(かける数)で子供達に教えるのは有用?エビデンスは?

エビデンス(科学的根拠)や、何十件も検証した結果は示せませんが、
私自身がそうであること、また、周りの話や、今回、すん(息子)に問題を出してみて、改めて「一つ分×いくつ分」で考える事は有効だと実感しました。

ここ、誤解しないで欲しいけど、「掛け算に正しい順序がある」と教えるのではなく、"まとまりの数"の理解を深めるために、「一つ分×いくつ分」で考えた方が、分かりやすいよ。ってことね。

私(しらこ)は小学生時代、「一つ分×いくつ分」と教えてもらわなかった

私はねぇ、掛け算なんてどっちでもいいって教えられて、小学校時代、全然算数できなかったよ。
2×3も3×2もどっちも一緒って教えられてたから、子供のテスト見るまで、掛け算に順序があるなんて考えたこともなかったし。
でも、おいたんに言われて、2×3は、2+2+2だね、3×2は3+3だよね、言われて、なるほど!!って思ったし、小学校時代にそうやって教えてもらえていれば、もっと"まとまりの数"の理解が深まって、分かりやすかったんじゃないかなぁ?って思ったよ。

掛け算の順番なんて、どっちがどっちでも良いけど、なんで式はバツなの?って子供に聞かれた時に、"まとまりの数"がちゃんと考えられているかな?
一つ分のまとまりはいくつ?それが何個分?って聞いて、それで"まとまりの数"の理解が進めば、それで良いんじゃないかな?と思います。

テストで式がバツだと、ハァ!?って言いたくなるよね。分かる。
私もそうだし、掛け算なんて、どっちがどっちでも答え一緒だからいいじゃん!!っていうのは、実際正しいし。
だけどこの、「掛け算はどっちがどっちでも答えが同じ」だからいいって言うの、子供にちゃんと説明できる?
"まとまりの数"の理解があやふやな人に、そう言っちゃうと、逆に混乱するかもしれないよ?
そこら辺は、よく考えて教えてあげたいなーと思います。

 

掛け算順序固定反対派の一部の人たちは、その考え方が、害悪でしかない、掛け算の順序を固定することに一つもメリットはないって言ってるんだよ(私の認識)。
「一つ分×いくつ分」だって、正しい解釈の一つなのにね。

掛け算の順序はどっちでも良いけど、じゃあ掛け算の順序を少しも固定しないで、"まとまりの数"の理解を促すにはどうすればいいの?

これは私が疑問に思っていることです。
掛け算の順序はどっちでも良い、掛け算順序固定否定派の、「一つ分×いくつ分」が害悪でしかない、と思っている人たちに聞いてみたいです。

例題

時間の例題
4/5時間はなん分ですか?
4/5分は何時間ですか?

4/5時間はなん分か?を考える時、
"1時間あたり"60分で、それの4/5倍だから…
60×4/5=48(分)
これを基に考えると、
4/5分は何時間か?は
"1分あたり"1/60時間で、それの4/5倍だから、
1/60×4/5=4/300=1/75(時間)
となる。

1分がa時間だと分かった。
ならあとは、aを何倍かすれば良い。

こういう、"1分あたり"、"一人あたり"、"〇〇あたり"の概念が理解できていれば、abでもbaでもいいし、慣れたら機械的にしても良い。
と、教える方が、私は理解しやすいんじゃないかな?と思いました。

あくまで、私が、こうした方が教えやすそうだな、理解してもらいやすそうだな…と思った話なので、それ以外に分かりやすい解法があれば、是非、教えてください。

この問題を解く時、
4/5時間はなん分ですか?は、
4/5(いくつ分)×60(1時間あたり)=48
と考え、
4/5分は何時間ですか?を、
4/5×1/60=1/75
と考えるのも勿論ありだと思います。
(この場合でも、「乗数×被乗数」として(掛け算の順番を固定して)教えることになってるけどね。)

これとは別に、掛け算に順序はない、どっちがどっちでもいい!!と主張する人は、
4/5時間はなん分ですか?は、
60×4/5=48(分)
と教えた時、
4/5分は何時間ですか?を、
4/5×1/60=1/75
と教える場合、どうやって教えますか?

これ、逆でも構いません。
4/5×60=48
と教えた時、
4/5×1/60=1/75
と教える場合、どうやって教えますか?

掛け算は交換可能、順番なんてどっちがどっちでも良い…と知っていても、私なら、混乱するし、"〇〇あたり"の理解を深めるためには、固定した方が分かりやすいんじゃないかな?と思います。

少なくとも私は、このような時間の問題や、速さの問題で子供がつまずいた時、"〇〇あたり"を考えると分かりやすいよ〜、と、教えたいと思っています。

どんだけ何回書いても誤解する人がいそうなので、また言うけど、「掛け算の順序を守ることが大事」って意味じゃないからね。

日本語の語順(主語+述語)を考えると、「いくつ分×一つ分」と考えた方が、分かりやすいと思う

先ほどの例題でも出しましたが、「いくつ分×一つ分」としても、「一つ分×いくつ分」としても"まとまりの数"の理解が深まるのなら、どっちでも良いと思いますが、日本語を考えると、「いくつ分×一つ分」と教えた方が、理解されやすいんじゃないかな?と思います。

少なくとも私は、日本語でコミュニケーションをとっているので、「いくつ分×一つ分」の方が、理解しやすいし、説明しやすいです。

掛け算に順序はないけど、掛け算に順序はないって教えた方が有用であるっていうエビデンスはあるの?

これは私も分からないので、そういう論文やデータがあれば、教えていただきたいです。
また、もし、〇〇%有用である、と分かったとして、それが100%でないならば、それは、掛け算に順序はない!!と、数学的に正しい事実を教えても、人によってはそれが理解できない、分かりにくい、ということになるんじゃないでしょうか?

エビデンスは大事だと思いますが、教育に絶対はないと思います。

掛け算順序論争について思うこと

同じことを何度も書きますが、この掛け算順序シリーズは、
おいたん(兄)から聞いた話が面白く、数学の面白さを広めたかった話です。
掛け算(高校までの普通の掛け算)を定義する方法は一通りではなく、定義の仕方によって可換性は小学生にも自明になります。
こういった、ある定義や枠組みで証明することが難しくても、同値な別の定義や枠組みを用いることで証明できる事は数学ではよくあるそうで、身近にもそんな例があって面白いよねってことを伝えたかった記事です。

また、子供がテストでバツをもらった時に、こう言う考え方でバツになってるんだよ、ということを伝えたかった話です。
だからと言って、「掛け算に順序がある、掛け算の順序を固定し、強制的に教えるのが大事」というのを広めたかった訳ではありません。

この記事にも書きましたが、
「掛け算の順序を固定して指導する」という方法は、学習指導要領には書いていません。
(「一つ分×いくつ分」で考える事は大事だよ、とは書かれていますが、「一つ分×いくつ分」の順に固定して指導せよ、とは書かれていません。)
テストでの判断は、現場の先生に任せられている、という現状だと思います。
とはいえ、実際は同調圧力等により、現場の先生の中にも、掛け算の順序が違う事で、泣く泣くバツを付ける人もいれば、バツをつけられて、算数が嫌いになる子供もいることでしょう。
もしかしたら、そんな事は考えず、片方の式しか書かれていない答案を見て、何の疑問も持たず、機械的にマル付けをしているだけかもしれない…。

掛け算の順序で正誤を判断されるということは、まとまりの数(単位あたりの量)を理解している人にとっては、学校が掛け算の順序を求めているから、こう回答する…というような忖度そんたくをして、(数学的に正しくない理解を曲げてまで、丸をもらうために)掛け算の順番を式に書いていることになり、これは、科学にとってはプラスどころか、マイナスであるとすら思います。
そこは、掛け算順序否定派の人たちの考え方に同意します。

掛け算順序否定派の人たちが、世の中を変えようと訴え続け、しかし、優しい言葉の訴えでは全然世の中が変わらなかったので、凄い強い言葉で訴えるようになった…というのにも、理解は示せます。
しかし、ただ、理解は示せるだけで、私はそういう行動をしようと思いません。
そういった強い言葉で行動するのが正しいとは、私は思いません。

掛け算順序固定で教える事に一つもメリットがない、エビデンスもない…という人もいますが、一つもメリットがないというエビデンスもまた、ありません。(これは私の認識なので、既にあるようなら教えていただきたいです。)

【注意】
掛け算順序を固定して教えることに」というのは、「掛け算順序固定を強制して教えること」という意味ではありません。

私は、メカニズムが分かっているからといって、そのメカニズムに合わないと無意味か?というと、そんな事は全然なく、また、そこが難しく、解明されていないところだと思っています。
こと教育に関して、入力と出力の間にはブラックボックスがあり、Aと入力したからと言って、Aの出力が出る訳ではない…ということを、理解しておく必要があるのではないかな?とも思います。

掛け算を「場面」で導入している部分、私は、掛け算を累加で教えていると思っていたし、子供たちも累加で教えてもらっているという認識でした。
(某数学者に強く批判されたので、修正しました。詳しくは【掛け算順序番外編】より)
ここでも、掛け算を累加で導入していない(入力)としても、子供は累加であると認識している(出力)ならば、それは掛け算は累加であるという教育ではないのか?と思います。

また、サンドイッチ法では全然無意味だ。というようなことも書きましたが、それも果たして本当に無意味でしょうか?
意味を理解せずやっていたとしても、ある日突然、「分かった!!」となる日がくることもあるのではないでしょうか。

おいたん
概念の理解は置いておいて、定義と論理を書き写す。
期間を空け、2回、3回繰り返すことで、自然と紐解け、理解が進むこともあったよ。
勿論、理解が進まないこともあるけどね。

強い言葉を使って、掛け算順序を肯定する人も、否定する人も、このあたりのことをよくよく考えてみて欲しいと思います。

私は、掛け算順序擁護派でも否定派でもどちらでもありませんが、今回、この漫画を描いたことで、掛け算順序を擁護していると捉えられたようです。
実際、正しい解釈の一つとして、私なりに分かりやすく描いたので、それが、見る人にとっては、「掛け算の順序を固定することこそ正しい!!」と主張しているように解釈されたのでしょう。
そんなつもりは全然ありませんが、掛け算の順序を固定して教える事は、教えやすいし、理解されやすいのではないかな?とは思っています。

なので、掛け算の順序を固定することは害悪でしかない、一つもメリットがないという掛け算順序固定否定派の人たちには、
"まとまりの数"の取り扱いがあやふやな人に、掛け算順序を固定せず、"まとまりの数"の理解を、どうやって教えますか?
と、聞いてみたいです。

掛け算の交換法則なんて、教えて貰えばすぐ分かるじゃん?
九九表覚えれば、「掛け算は入れ替えてもいいんだ〜」って気付くだろうし。
私これ、"掛け算"を教えてるんじゃなくて、"まとまりの数"の取り扱いを教えるために"掛け算"を使ってるんじゃないかと思うんだよね。
どう思う?

 

 

小中学校時代、夏になると、毎週水曜日にポンジュース出てたよ。
今も出てるのかな??
ポンジュース、美味しいよね!!

 

ではまた〜!!

 

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コメント一覧
  1. 以前のブログの記述に比べて概ね常識的でまともな事が記述されていて、感心いたしました。

    >数学的に間違いがあれば、ご指摘ください。

    の直後に書かれている以下の部分は数学的な間違い、または数学とは関係のない思想なのではないでしょうか?

    >「でもさ、2×3も、3×2も、答え一緒じゃん!!」「答えは一緒でも『式が表しているもの』が違う」
    >ここは、掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではないため、答えが合っているだけではダメで、私の解答が"違う"となります。

    「『式が表しているもの』が違う」とのことですが、
    直前まで繰り返し「式は状況や場面を表すのではない」とおっしゃっていたのでは?
    何故ここだけ矛盾したことを主張されるのですか?

    仮に「掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではない」としても、
    掛け算の定義によらず、結局は自然数の掛け算には交換法則が成り立ちます。
    回答者がどんな知識を持っているかは交換法則が成り立つかどうかに関係ありません。

    回答者が掛け算の可換性を知っていてもいなくても、
    回答者が掛け算の可換性を証明していてもいなくても、
    「2×3も、3×2も、答え一緒じゃん!!」は正解とされなければおかしいです。

    しらこさんは
    同じ問題に対し同じ回答をした2人の回答者がいた場合、
    片方を「分かっているから正解」と評価し
    片方を「分かっていないから不正解」と評価するのは
    数学的に正しいこととお考えなのでしょうか?

    >極端な話、数学者じゃなければ、どっちでもいいよね。

    数学者ならばそんな属人的なものを基準にしたりせず、
    客観的な事実から論理的に「どっちでもいい」とするのではないでしょうか?

    • 夏の介さんは「式が表しているものが違う」という部分に違和感を持っているのですね。
      「式が表しているものが違う」というのは、私の思想ではなく、矛盾もしていません。
      何故なら、夏の介さんが言われていることと、私が言っている事は、意味が違うからです。
       
      夏の介さんは、「式が表しているものが違う」を、
      「式は、状況や場面を表すものであって、場面が違う」と解釈しているようです。
      違います。
      式は、状況や場面を表すものではありません。
       
      記事にも書きましたが、私が言っている「式が表しているものが違う」とは、
      「ただのラベル(名前)を定義し、ラベルに意味を持たせたもので、そのラベルの指すものが違う」という意味です。
       
      「2×3」というただの「ラベル(名前)」に、「2+2+2」と定義し、意味を持たせました。
      「3×2」は、「3×2」という名前に、「3+3」という意味を持たせました。
      「2×3」と「3×2」は、定義より、表しているものが違います。
      なので、任意の自然数m、nに対して「m×n」と「n×m」をイコールで結ぶためには、証明が必要になります。
      また、「m×n」と「n×m」を、累加でない別の定義(より厳密には、定義という言葉を使わない方が良いのですが)で、可換性はすぐに分かります。
       
      夏の介さんは、
      >仮に「掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではない」としても、
      と仰っていますが、「掛け算は累加で定義しても可換は自明だ」と思っているのですか?
      この一文から、私はそう読み取りました。
       
      「仮に」ではなく、掛け算を累加で定義すると、可換は自明ではありません。
      (もし、掛け算は累加で定義しても可換は自明だと思っているのなら、掛け算順序4話目をよく読んでみてください。)
       
      掛け算順序4話目で書いた、「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」は、
      おいたん(兄)に何回説明してもらっても、中々理解することができなかった箇所です。
      私は、長時間かけて理解できたから記事にしましたが、記事をサラッと読んだだけですぐに理解できる話ではなかったな…と思っています。
      (機会があれば、もう少し分かりやすく、書き直したいと思います。)
       
      余談ですが、掛け算順序固定否定派の人の中に、私の記事を、「掛け算順序固定擁護派の記事、非難する記事!!」と思っている人がいて、私の記事をデマだと言い回っているせいで、真に正しい事実を知ろうとしない人を見かけました。
      これは、掛け算順序論争をやっている弊害だな…などと思いました。
      まぁそれが本当に真実かどうかは、その人にとっては大して問題ではないのだと思います。
       
      夏の介さんは、私の記事を、「掛け算順序擁護派の記事」としてしか見ていないのではないですか?
      そのようなバイアスは取っ払って、もっとじっくり、何回か読んでもらえると私が言いたい事が分かるのではと思います。
       
      >回答者が掛け算の可換性を知っていてもいなくても、
      >回答者が掛け算の可換性を証明していてもいなくても、
      >「2×3も、3×2も、答え一緒じゃん!!」は正解とされなければおかしいです。
       
      主語が抜けていますが、これは、生きている人全員、
      「「2×3も、3×2も、答え一緒じゃん!!」は正解とされなければおかしい」という解釈で合っていますか?
       
      私は、小学生なら、「答え一緒だから」という理由で、テストでマルでいいと思います。
      大人でも、必要ない人はそれでいいと思います。
      だけど、数学を学んでいる人、自然数とは何かを定義し、任意の自然数m、nに対しm×n=n×mを証明しようとしている人にとっては、これではダメだと思います。
       
      数学を勉強する時は、教科書の行間を自分の頭で考えて埋め、論理を積み上げていく学問だと、おいたんから聞きました。
      夏の介さんがもし数学科出身であれば、ゼミで”教科書にそうかいてあるから”を理由に論理展開はしないと思います。
      (いくつか定理を証明せず使用する事はあるかもしれませんが。)
       
      こういう、論理を追っていく話は、私には新鮮で面白く、記事にしたいと思いました。
      この、新鮮で面白かった部分を漫画に描いたつもりでした。
      (おいたんに「何で?」と言われて、私が説明できませんでした。その問答が面白く、漫画にした…という感じです。)
       
      この話は、「掛け算は累加で定義すると可換は自明ではない」という話の回答に、
      「2×3も、3×2も、答え一緒じゃん!!」と2×3の数しか示せていないので、ダメです。(記事に書いてる)
      漫画では、任意の自然数m、nに対し、m×n=n×mを示せ。
      と、問題が出てるのに、
      私は、証明せずに、交換法則は成り立つから成り立つ。
      と言っていました。
      掛け算順序を守るべき理由のように読まれたなら、それは大変な誤解です。
       
      >同じ問題に対し同じ回答をした2人の回答者がいた場合、
      >片方を「分かっているから正解」と評価し
      >片方を「分かっていないから不正解」と評価するのは
      >数学的に正しいこととお考えなのでしょうか?
       
      これは「小学校のテストの掛け算の式で正誤を判断する場合」という解釈でいいですか?
      であれば、これはもう、数学の話ではありません。教育の話になります。
       
      私は寧ろ、同じ回答しても、個々人によって、正解、不正解をした方が良いのではないかな?と思います。
      同じ回答でも、「この子は分かっているな、マル。」「この子は分かってなさそうだな、バツ」として、
      バツにした子には、個別に教える…というくらい、きめ細かい対応が出来るといいんじゃないかな?と思います。
      バツにしないまでも、サンカクにして、相手の理解を確認しながら教えることができるのなら、それに越した事はないと思います。
       
      >数学者ならばそんな属人的なものを基準にしたりせず、
      >客観的な事実から論理的に「どっちでもいい」とするのではないでしょうか?
       
      殆どの数学者はそもそも掛け算順序論争に興味ないと思います。
      おいたん(兄)が、この話をしてくれたのは、論争に入るためではなく、私と甥っ子の為に話してくれたことであり、
      それについて、おいたんは議論する気は全くありません。
      私が「議論しない」と言いつつ、つい返信してしまうので、それに対して、親切心で色々教えてくれただけです。
      なので、コメントに返信するとことも、「議論したい」と思われそうだな…と思いつつ返信しています。
       
      そして、この記事にも書いているように、テストの掛け算の式でマルバツを付けるのは「反対」です。
      「全部で何個でしょう?」というような「総数」を問うている問題は、「どっちでもいい」です。

  2. >一つもメリットがないというエビデンスもまた、ありません。
    >(これは私の認識なので、既にあるようなら教えていただきたいです

    と言われていますが、

     「4/5時間はなん分ですか?」
    という問題で 4/5×60 で減点されるという事例は、「デメリットがある」ことを示していませんか?

    • 「4/5時間はなん分ですか?」という問題で、
      4/5×60 と回答し、この回答に対して、一律にバツをつけて何のフォローもしない、というのは、私は反対です。
      人的資源の限られた学校教育において、順番を固定して教えることが良いかと言われると、導入時はそうだとしても、テストで正誤を判断するやり方は、やめた方が良いと思っています。
      とは言え、「左側に”まとまりの数”を書くんだよ〜」と教え、テストでも「先に”まとまりの数”を書いてね〜」等言っていた場合、順序が逆だったら、「あれ?この子は分かってないのかな?」と判断する材料の一つに使う事も出来ると思っています。
      が、こういう前提条件がない状態で、学校教育で一律にバツをつける必要はなく、それが全員に有用であるとも思えません。
       
      何の前提条件もない状態(例えば、学年が上がって、小2の導入で、左側に”まとまりの数”を書くように教えたからと言って、小3でも暗黙の了解で左側に「一つ分」でなければならない)で、掛け算の順序で正誤を判断されるということは、まとまりの数(単位あたりの量)を理解している人にとっては、学校が掛け算の順序を求めているから、こう回答する…というような忖度をして、(数学的に正しくない理解を曲げてまで、丸をもらうために)掛け算の順番を式に書いていることになり、これは、科学にとってはプラスどころか、マイナスであるとすら思います。
       
      ただ、繰り返しになりますが、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環として、掛け算の順序を固定し、指導するのはありだと思っています。
       
      ゴルゴ・サーディーンさんは、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、指導するのは問題ありだと考えていますか?
       
      私は、“〇〇あたりの量”を教えるのに、色々な教え方があっていいし、分かりやすく教えられるのなら、それに越した事はないと思っています。

  3. 私の認識だと、しらこさんは勘違いしている点があると思います。
    「掛け算順序固定」はダメだと言われることがありますが、「掛け算順序固定強制」が省略されての発言と考えられます。
    で、「固定強制」のメリットが無いと言われています。言い方を変えると、順序自由にさせることで失われるメリットが無いと言うことです。
    順序固定したほうが解りやすい子がいたとしても、自由(つまり固定で解いても構わない)にさせることではメリットは失われません。
    しらこさんが疑問に思っている、「批判派はどう教えるのか?」は、「固定して教える」とかになるでしょう。
    ほとんどの教師は教科書と同じ順序に固定して教えているはずで、そのことを批判している人を私は知らないです。
    批判されているのは「逆順はダメ」と扱う教師です。

    • コメントありがとうございます。
       
      私も、エイリュウさんと同じ考えです。
      そうですね、「掛け算順序固定」では分かりにくかったですね。
      「掛け算順序固定強制」がダメという意味で発信していました。
      意図を読み取っていただき、ありがとうございます。
       
      この記事の最後の方で記述した、
      『掛け算順序固定で教えることに、一つもメリットがない、エビデンスもない…という人もいますが、一つもメリットがないというエビデンスもまた、ありません。』
      という文言に引っかかっている人がいて、何故この文に引っかかるのか分かりませんでしたが、「掛け算順序固定を”強制”して教えることに」と考えると、納得できました。
      そうであれば、「掛け算順序固定を”強制”して教えることに」は、私も、メリットどころか、デメリットしかないと思っています。
      注釈を書き加えたいと思います。
       
      ”掛け算順序固定否定派”と言っても、色々な考えの人がいるので、
      掛け算順序を固定して教えることも反対の人がいるのかな?と勘違いしてしまいました。
       
      ご指摘、ありがとうございます。
      また、この回答(解釈)も的外れだったり、私の勘違い等ありましたら、ご指摘いただければと思います。

      • 他の人へのコメントなどから、気になったことについて書きます。
        載せているテスト画像は「あめはぜんぶでいくつひつようですか」という総数を求める問題に対して「逆順はダメ」と扱っている、まさに批判対象の例です。不当な指導です。
        また、本文にも書いてあるとおり、「まとまりの数」は考え方により変わります。つまり順序指定しても「まとまりの数」の理解度は測れません。「掛け算には、まとまりの数を先に書くルールがある」という間違った認識をもたせないようにするべきでしょう。
        ここからは余談かもですが、
        重要なのは「画像問題における必要な飴の数」と「8×9」と「72」が”同じ”と認識できることでしょう。それができれば「9×8」も同じと解ります。

  4. >ゴルゴ・サーディーンさんは、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、指導するのは問題ありだと考えていますか?

    はい。

    (仮に、一時的な措置として順序固定を使った場合、どこかの時点で
      「解除することを明言すること」
     が、許容するための条件です。)

  5. >ほとんどの教師は教科書と同じ順序に固定して教えているはずで、そのことを批判している人を私は知らないです。
    >批判されているのは「逆順はダメ」と扱う教師です。

    この件、いまようやく理解されたのでしょうか?

    昨年12月の時点で、私が
     「学校では『1.5×1000ですね。でも1000×1.5でも問題ありません』
      というふうにはしてくれません。」
    と申し上げていたのですが。
     https://twitter.com/golgo_sardine/status/1471996709480075267

    • >ほとんどの教師は教科書と同じ順序に固定して教えているはずで、そのことを批判している人を私は知らないです。
>批判されているのは「逆順はダメ」と扱う教師です。
      この件、いまようやく理解されたのでしょうか?
       
      エイリュウさんがコメントで言われている、
      >批判されているのは「逆順はダメ」と扱う教師です。
      は、
      「逆順はダメ」と、何の前提条件もなく”強制的に”扱う教師
      と私は認識しています。
       
      「逆順はダメ」と、何の前提条件もなく”強制的に”扱う教師は、私もダメだと思います。(この部分は、今理解した訳ではなく、最初からダメだと思っていました)
      ただ、私は、「逆順はダメ」と扱う教師の中にも、前提条件をつけていた場合や、導入でそのように教えていた場合、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としては、「逆順はダメ」と扱ってもいいのではと思っています。
       
      ゴルゴ・サーディーンさんは、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、指導するのは問題ありだと考えているようですので、私とは考えが異なります。
      私は、「いかなる理由があっても、「逆順はダメ」と扱う教師は批判されなければならない」とは思いません。
       
      子どもの理解度を考慮しながら、一時的に「逆順はダメ」と扱っても良いと思います。
      (繰り返しになりますが、一律に、何が何でも「逆順はダメ」と扱う教師は論外です。)
       
      ゴルゴ・サーディーンさんが12月に言われていた、
      >「学校では『1.5×1000ですね。でも1000×1.5でも問題ありません』
        というふうにはしてくれません。」
      の部分と、引用されている方のツイートを見て、私は、「前条件を付けていた場合や、導入でそのように教えていた場合」と、認識しています。(これは、この時も、現在も、この認識に違いはありません。)
       
      私は、この引用ツイを読んだ時(今現在も)、お子さんが「”〇〇あたりの量”×◯倍」と教えてもらっている段階であるから、先生は△にして、”〇〇あたりの量”というのが読み取れてるか確認をしたのだろうと解釈し、この担任の先生が”絶対ダメ”と強制的に教えているようには見えませんでした。
      5/3+7/4の問題の部分でも、親御さんが提示したやり方では、まだ理解できない段階だったのではと思っています。
      私は、この担任の先生は、お子さんの理解度をよく見て判断されていると解釈し、子供が納得できるよう前提条件を提示し、指導していると思いました。
      (私は、掛け算の順序はどちらでも問題ないと思っているし、掛け算順序を固定して教えることも、この引用ツイートも前提条件があったのではと推測できるし、不当な指導だと思っていません。)

  6. >掛け算順序固定反対派の一部の人たちは、その考え方が、害悪でしかない、掛け算の順序を固定することに一つもメリットはないって言ってるんだよ

    その「一部の人たち」の主張を知りたいです。最初に掛け算を教える際に左右に異なる意味付けをして教えることに反対する意見は聞いたことがありません。一部の人たちは、何を「害悪でしかない」と言っているのでしょうか?

    >サンドイッチ法では全然無意味だ。というようなことも書きましたが、それも果たして本当に無意味でしょうか?
    意味を理解せずやっていたとしても、ある日突然、「分かった!!」となる日がくることもあるのではないでしょうか。

    ある日突然分かった、となったとして、それがサンドイッチが無意味ではないことを意味しないでしょう。
    理解しているかどうかを見るための掛け算順序、とされていたのに、サンドイッチで理解していなくても教える側が求める順序に書けるというのだから、教える側が何のための順序指導なのかわかっていなくて混乱していることを示しているだけです。

    • >その「一部の人たち」の主張を知りたいです。最初に掛け算を教える際に左右に異なる意味付けをして教えることに反対する意見は聞いたことがありません。一部の人たちは、何を「害悪でしかない」と言っているのでしょうか?
       
      積分定数さんから、このようなコメントをいただけるとは、思っていませんでした。
      あまりにも衝撃的過ぎて、かなり驚いています。
       
      私と積分定数さんとのツイッターのやり取り、何度読み返しても、積分定数さんは、(掛け算を教える時や、前提条件等があったとしても)どのような理由があっても掛け算を固定して教えることは許さないという立場だと受け取れます。
       
      >掛け算順序固定反対派の一部の人たちは、その考え方が、害悪でしかない、掛け算の順序を固定することに一つもメリットはないって言ってるんだよ
       
      は、積分定数さんを筆頭に、一部の人たちを想定して書きましたが、積分定数さんはそうではないようですので、認識を改めたいと思います。
       
      今回のまとめ記事でも、掛け算順序固定否定派と思われる人たちから揶揄されたり、批判されたりするので、その人たちは、前提条件があった場合や、導入時等、”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、指導するのは問題ありだと考える人が一定数いると認識しています。
       
      また、ゴルゴ・サーディーンさんは、
      ”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、指導するのは問題ありだと考えていますか?
      の問いに、
      はい。
      (仮に、一時的な措置として順序固定を使った場合、どこかの時点で「解除することを明言すること」が、許容するための条件です。)
      と回答されています。
      ゴルゴ・サーディーンさんだけでなく、他にも、導入時等の場合であっても、掛け算の順序を固定する教え方は問題があると考えている掛け算順序固定否定派の人たちもいるのではないでしょうか?
       
      >ある日突然分かった、となったとして、それがサンドイッチが無意味ではないことを意味しないでしょう。
      理解しているかどうかを見るための掛け算順序、とされていたのに、サンドイッチで理解していなくても教える側が求める順序に書けというのだから、教える側が何のための順序指導なのかわかっていなくて混乱していることを示しているだけです。
       
      世の中には“まとまりの数”が全然理解できない子もいます。
      文章問題を見て、その文章がどのような状況を示しているか、絵に描けない子もいます。
      “まとまりの数”を(掛け算を固定しようがしまいが)どのような教え方をしても、理解できない子が一定数いる…と私は思いますが、積分定数さんはそのような子供は存在しないと思っていますか?
       
      勿論、学校全体で一律に、「文章問題が出たら、サンドイッチで書け」と教えるのは問題だし、サンドイッチを強制するのは以ての外です。
      それこそ、積分定数さんが仰るように、教える側がよく分かっていない、混乱しているだけだと思います。
       
      私は、比例の概念が分からない人や、相手との物理的な距離感がわからない人がいる…という話を聞いたことがあり、つい先日も、ママ友から、ウチの子は、掛け算の文章問題を読んで、絵に書いてみてと言っても書けず、どうやって教えればいいか、どうすれば理解してもらえるか分からず悩んでいる…という話を聞きました。
       
      “まとまりの数”というものは何かわからないけど、とりあえずこうやって書けば答えが出る…と思っていくつか問題を解いているうちに、「分かった!!」と突然理解できる子もいるだろうし、そういった、”まとまりの数”が全然理解できない子たちの為に、「サンドイッチみたいに挟むといいよ」と教えることは意味がないでしょうか?
      ありとあらゆる手段を尽くして、それでもどうしても分かってもらえない…。
      仕方なく、サンドイッチを教える…というのは、教える側が混乱しているとは、私は思えません。
       
      サンドイッチなら分かる、挟めばいい…でもどうして挟んだら答えが出るんだろう?と考える子がいるかもしれない。
      そんなことは全く考えず、ただ機械的にやる子が圧倒的に多いとしても、そもそもサンドイッチで答えを出す子は”まとまりの数”の取り扱いがうまくできないからであって、”まとまりの数”を理解できている子であればわざわざそんな教え方はしないのではないかなと思います。
      (分かっている子に、サンドイッチで教えるのは無駄であり、有害でしかないと思います。)
       
      余談ですが、「夏の介」さんという方から、積分定数さんかと思ってしまうほど酷似する内容の質問を受けました。
      コメントに返信しておりますので、もし、積分定数さんがまだモヤモヤされているようなら、夏の介さんとのコメントのやり取りを見返してもらえると理解してもらえるのではないかと思います。

      • 「こういう子もいるかもしれない」と言い出すなら、どんな指導法も「絶対的には否定できない」と言う話になるでしょう。
        「1+1=5と教えて、1+1=2としたらバツにする」という教え方だって、「その方が理解が進む子は絶対いないとは断言できない」から否定できなくなってしまいます。

        あなたは、論の立て方がアンフェアです。「掛け算順序固定やサンドイッチは絶対的に否定されるべきか?そのエビデンスはあるのか?」と言うなら、「順序固定やサンドイッチは絶対的に肯定されるべき」というエビデンスはあるのでしょうか?

        • あなたの言う、「順序固定」が具体的に何を指しているのかもよく分かりません。
          「「掛け算順序固定を”強制”して教えることに」は、私も、メリットどころか、デメリットしかないと思っています。」とんことですが、具体的にどのような教え方が「強制」なのでしょうか?テストで一方の順序のみを正解として他方をバツとすることは強制という認識でしょうか?それから「まとまりの数」をどう教えるのか?という話ですが、7人に5個ずつ配るには何個必要か?なら、「1人がもらう個数か?」とか「何人いるの?」などと言えばいいでしょう。掛け算順序指導を前提にして、それを正当化する理由をあれこれ探していませんか?

          • 「小学校時代にそうやって教えてもらえていれば、もっと"まとまりの数"の理解が深まって、分かりやすかったんじゃないかなぁ?」 「"まとまりの数"の理解」とは具体的にどういう事でしょうか?どういう状態になれば「理解が深まった」となるのでしょうか?その辺がさっぱり分からないのです。「"まとまりの数"の理解があやふやな人に、そう言っちゃうと、逆に混乱するかもしれないよ?」、じゃあそういう子には言わなければいいでしょう。子供が逆順にしてもマルにすればいいだけです。マルが付くことで混乱する子はいるのでしょうか?また「"まとまりの数"の理解があやふやな人」の意味がよく分からないのですが、「7人に5個ずつ配るには何個必要か?」で、この問題文の意味が分からないという意味でしょうか?仮にそういう子に教えるのであれば、教えるべきは掛け算の順序ではないでしょう。

  7. >ママ「やっぱり、答えが同じだから先はどっちでもいい!!って言うと、混乱するよね…。

    すんちゃんって元々の話では掛け算の順序は逆でも気にしてなくて学校で罰を貰ってきてて、その上で正しく掛け算の交換法則は理解できていたんじゃなかったの?

    それが今になって「2つのまとまりが、3つだから、2×3じゃないとダメじゃん!」とか言い出したのは、「答えが同じだから先はどっちでもいい!!」と言ったから混乱したのではなくて、学校なり「おいたん」なりが「掛け算は逆にすると意味が違う」と洗脳したからなのでは?
    マッチポンプとしか言いようがない。

    • いや、違うんですよ…。
      1話目でテストを持って帰って来た→2話目で、累加で定義している(これに私も納得)→すんに確認すると、すんも、累加であるという認識で、2のまとまりが3つある場合は2×3という認識で、3×2ではありませんでした。
      そこで、さくらんぼの話(2粒実のついたさくらんぼ3房)、「2×3って言ったけど、3×2でもいいんだよ?」って言ってみると、すんはすごい驚いて、「え?何で??」と言っていたので「2粒実のついたさくらんぼ3房」は「2×3であって3×2ではない」という認識でした。
       
      「掛け算は逆にすると意味が違う」というのも少しニュアンスが違っており、「式が表しているものが違う」という話を、「掛け算は累加で定義すると可換は自明ではない」という説明のために、私に言っただけです(すんには言っていない)。
       
      台風さんは、「掛け算は逆にすると意味が違う」というのは、「式は、状況や場面を表すものであって、場面が違う」という解釈で発言されましたか?
      もし、「式は、状況や場面を表すものであって、場面が違う」と解釈されての発言なら、おいたんが言った「式が表しているものが違う」という意味とは別物になります。
      式は、状況や場面を表すものではありません。
      この辺の話、夏の介さんとやり取りした話ですので、よろしければ、この記事にある夏の介さんのコメントと、私の返信を読んでいただけると分かるのではと思います。
       
      ツイッターは暫くミュートにしており、台風さんからのリプに気付きませんでした。すみません。
      (キーワード検索で、台風さんがリプくれていたのに気づきました。)
      台風さんがリプくれていた部分の内容、
      「おいたんは2つを混同してしまったから、掛け算順序は「どっちでもよくない」と言っているということか?」は、違います。
      おいたんは、最初から混同していません。
      おいたんは、掛け算の順序は、初めからどっちでもいいんです。
      伝えたいことが違うだけです。
      ここの話も、まとめ記事に書きました。
       
      おいたんは4話目「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない(証明が必要)」の話を、2話目からしています。
      2話目から、おいたんに、「掛け算を累加で定義した時、可換であることを証明せよ」と言われているのに、私が証明せず「a×bもb×aも同じ」と掛け算の交換法則を知っていることを持ち出して話しています(証明してない)。
      この、「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」という話は、小学生にしているわけではなく、数学者であったとしても、どっちでもいいと思っている人にとっては、どっちでもいいです。
       
      この、「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」という話を持ち出して、小学生の掛け算順序に物申すつもりはありません。
      (匿名でないコメントには、誤解が生じないよう極力返しているので、それが教育の話になってしまっているかもしれませんが、掛け算順序について何か言いたかった訳ではありません。)

  8. >おいたんは、最初から混同していません。

    2話では、
    しらこさんの小学校の掛け算のテストについての「9×8も8×9でもどっちでもいいじゃんね!?」に対して、
    おいたんは「いやどっちでもよくない」と言っていますよ?
    3話では「A×B=B×Aは当たり前ではない①」とのタイトルですが、中身では小学校の掛け算の文章題の話をしていますよ?

    これで何故混同していないといえるのですか?

    >2話目から、おいたんに、「掛け算を累加で定義した時、可換であることを証明せよ」と言われているのに、

    2話目で「掛け算を累加で定義」したことは示されていますが、
    「可換であることを証明せよ」とは2話目でもその後の話でも言われていないのでは?

    >「掛け算を累加で定義すると可換は自明ではない」

    掛け算でA×B=B×Aが自明でないとしても、九九が既習ならば9×8=8×9=72は自明ですよね。
    「A×B=B×Aを自分自身で証明しないかぎり 9×8と8×9はどっちでもよくない」とするのはおかしいのでは?

    >小学生にしているわけではなく、数学者であったとしても、どっちでもいいと思っている人にとっては、どっちでもいいです。

    しかし、どっちでもいいと言っていたしらこさんを
    おいたんさんは「どっちでもよくない」と否定していますよ。

    とても矛盾した言動に見えるのですが?

  9. 「私と積分定数さんとのツイッターのやり取り、何度読み返しても、積分定数さんは、(掛け算を教える時や、前提条件等があったとしても)どのような理由があっても掛け算を固定して教えることは許さないという立場だと受け取れます。」

    だから、あなたが「(掛け算を教える時や、前提条件等があったとしても)どのような理由があっても掛け算を固定して教えることは許さない」がどういう意味で言っているのか分からないので、「通りです」とも「いいえ違います」とも言えないのです。

    私の立場を説明します。現在、教科書では1つ分×いくつ分で掛け算を導入するけど、私はこれには反対で、同数累加で導入すべき、a×bはaをb個足した値、と導入すべきと考えています。しかし、a×bのaとbに異なる意味付けをして導入することには異論はありません。

    子供が正しい答えを出したのなら、式によらず正解とみなすべきです。前提条件云々は関係ありません。「1つ分×いくつ分に書くようにと授業で教えていた」というなら、そのように教えること自体が間違っている、という立場です。

  10. 私も含めて、掛け算の順序指導を批判している人は、現実の掛け算順序指導を批判しています。それに対して、「これこれこういう前提があれば、否定できないのでは」と言っても、そんな授業が行われているかどうかすら分からないし、仮に行われていても、我々が批判している「現実の大半の順序指導」への批判への反論にはなり得ません。またそもそもあなたは、前提条件の具体的内容すら言わないで極めて漠然としたものしか述べていません。さらに、エビデンス云々を言うなら「掛け算に順序がある」という噓出鱈目を教えている側に言うべきでしょう。あなたの言い分は、「1+1=5である」と教えていることを批判して「その教え方が有効であることのエビデンスはあるのか?」に対して、「1+1=5を教えることが有害であるというエビデンスがあるのか?」「1+1=2と教えることが有効である海老ですがあるのか?」と言っているようなものです。

  11. >また、ゴルゴ・サーディーンさんは、
    ”〇〇あたりの量”を意識する練習の一環としても、掛け算の順序を固定し、
    >指導するのは問題ありだと考えていますか? の問いに、
    >はい。
    >(仮に、一時的な措置として順序固定を使った場合、どこかの時点で
    >「解除することを明言すること」が、許容するための条件です。)
    >と回答されています。
    >ゴルゴ・サーディーンさんだけでなく、他にも、導入時等の場合であっても、
    >掛け算の順序を固定する教え方は問題があると考えている掛け算順序固定否
    >定派の人たちもいるのではないでしょうか?

    誤解されておられるようです。
    私は
    「導入時等の場合であっても、掛け算の順序を固定する教え方は問題がある」
    とは言っていません。

  12. どこが違うのかと言うと

    <ゴルゴの主張で>

     ■ 「8+8+8+8+8+8+8+8+8 は 8×9 である。
        これが掛算である」
      これはOK。

     ■ 「8+8+8+8+8+8+8+8+8 は 8×9 だと教えただろ。
        それを 9×8 と書いてはいけない」
      これはNG。

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